「道場小唄」や「道場音頭」にも歌われた光明寺
紅葉の名所として親しまれた古刹
1951年 、「道場小唄」 という曲が発表されています。道場村が、となりのハ多村・大沢村とともに神戸市の合併されたその年です。
作詞は大谷舟丁という人で、名所旧跡をおりこみながら、盆踊りのようなハヤシが繰り返されています。

ハァーア 桜ちらちら道場の町はネ ヨイヤサー
ほんに絵の様に ほんに絵の様に 夢の様に
ソレ ヨイトコナー ハ ヤレコラセ
ヨーイ ヨイ ヨイ ヨイトコナ
(以下、はやし同じ)
これが1番の歌詞で、30番まで延々と続きます。
5番 ハァーア 有馬湯所道場の里はネ
音に聞こえた 音に聞こえた米所
9番 ハァーア 男度胸で百丈岩にネ
登りゃ朝霧 登りゃ朝霧朝嵐
11番 ハァーア さても城山いわれを聞けばネ
昔赤松 昔赤松 たんぽぽの城
14番 ハァーア ほたる狩りなら塩田の里のネ
歌の行平 月見橋
18番 ハァーア 知るや石物鏑射山のネ
蝉の泣くよな 蝉の泣くよな 小夜時雨
20番 ハァーア 娘十六何悲しゅうてネ
頼み生野の 頼み生野の太子堂
そして、21番目に光明寺が歌われています。
ハァーア 人目忍んで山中なれどネ
顔が紅葉の 顔が紅葉の光明寺

この歌詞からも光明寺はずっと昔から紅葉の名所だったことが偲ばれます。墓地公園として整備し始めた25年ほど前からは、新たな植林を増やし続け、往時以上の紅葉山として
参拝者に喜ばれています。もちろん紅葉以外にも、四季折々の花を楽しんでいただこうと、桜並木や梅林なども広げています。

ところで、道場村が神戸市に合併する時は、村民の投票により賛否がはかられ、有権者数2,177人中合併賛成は1,585人(73.05%)だったと記録にあります。
『道場小唄』 にも示されているように、村民は郷土の自然や歴史に愛着と誇りを持ちながら、国際港都・神戸市との合併を選んだのでした。
この道場小唄はやがて盆踊り用の「道場音頭」にもなり、2つの歌詞をうまく合わせて15番までにまとめられ、光明寺は12番目に登場します。
人目忍んで 山中なれど
顔が紅葉の 光明寺
アードッコイ アードッコイ
里は円満 五穀も豊穣
道場生市 エー 人の波
サノーヨイト ヨヤマカドッカイショ
この 『道場音頭』 では 光明寺 のほかに、歴史のある有名寺院として 太福寺(太子堂)、鏑射寺、正福寺、西林寺 が歌われています。そして道場町の中でも 、 太福寺、鏑射寺、光明寺 の3ヶ所は、聖徳太子とゆかりの深い 「生野の名刹」 として道場町誌などに紹介されています。
では、3カ寺はそれぞれどのような歴史をたどってきたのでしょうか。
次に
