五鈷山光明寺の草創
聖徳太子草創行基菩薩開山の霊跡
本寺の開山は、往昔聖徳太子草創、行基開山の霊跡に、高僧仏通禅師が京都から摂州へ巡回して有馬に来られて、縁あって錫(シャク)をこの山に留められた時に、武庫群灘村の新在家柴田氏「法号碧岩院底了也居士」という人が仏通禅師の得に帰依して、禅師が養老韜晦(ヨウロウトウカイ)の処とするため一寄進で一宇を建立しました。禅師いたくその志を受けられて、毎日衆徒を説得した。その禅風はきわめて峻厳なので人々は虎仏通と呼び叢林(ソウリン)に喧伝(ケンデン)した。仏通禅師の大乗菩薩道にもとずく仏教思想とその実践活動に禅師の徳風を慕うて遠近の雲水、道俗が我も我もと競い来って掛塔を乞い山門にひきしめ大禅窟となった。弟子が遺偈を請うも「我に遺偈なし」と一句もあたえなかったと。
文化元年(1804年)に如何なる因縁があったか、大本山永平寺第五十世 (道号)即中(玄透)勅賜号洞宗宏振禅師を勧請せられ、伝法開祖と仰ぎ本山直末寺に列せらる。(永平寺年表による)
文化元年(1804年)に如何なる因縁があったか、大本山永平寺第五十世 (道号)即中(玄透)勅賜号洞宗宏振禅師を勧請せられ、伝法開祖と仰ぎ本山直末寺に列せらる。(永平寺年表による)

碧岩院徹底了也居士法筐印塔
有馬郡 西国三十三カ所 番外霊場
有馬じを
てらしたもうぞ 瑠璃光の
めぐみもふかき 山中の寺
とご詠歌にうたわれています。
近年少なくなった有馬郡 西国三十三カ所巡礼の復活を願う方々が、三田市や神戸市北区、西宮市山口町に散らばる「有馬郡西国三十三カ所」の霊場の朱印帳をまとめられました。この「有馬郡西国三十三カ所」朱印帳は管理事務所にもございます。ご興味ある方は有馬路を巡礼されてみてはいかがでしょう。



五鈷山光明寺山門。
五鈷山光明寺の周囲を囲っている石垣。

komyoji2010


